日本人の面接はおかしい

1.「面接」が支配する社会

学生時代、評価される機会といえば、期末試験や入学試験といった筆記試験であった。結果が数字に現れ、それに対して一喜一憂したり、合否が決定されたりしていた。多くの人が、約20年間はこの筆記試験によって、ある意味合理的に、ある意味無情に、評価され、互いに比較されてきた。

それが社会人になると突然、「面接」という評価の場が現れる。民間企業の採用選考はほぼすべてが採用しているし、筆記試験や経歴書によっても評価されることはあるが、人材評価における「面接」の重みは大きい。さらにこの「面接」の重みは現在進行形で膨らんでいっているとさえ感じる。

これは果たして正当な潮流であると言えるのであろうか。

2.「企業」と「求職者」のマッチングとは

社会人の入り口として待っている就職活動とは、「企業」と「求職者」のマッチングである。それぞれが情報をやりとりして、お互いを評価し、最適だと思うものを選ぶ。
では「企業」が「求職者」を評価するために必要な情報は何か。。

  1. 能力
  2. 性格(感情的な部分)
  3. 考え方(論理的、理性的な部分)
  4. 経歴

大きく分けると上記であると考えられる。以下では便宜的に上記4つを人材の「特性」と表現する。

1は学力、知識、地頭などのことであり、一般的に言うと「頭の良さ」ということになる。2,3の境界は曖昧ではあるが、ある分岐点にたったときに無意識的に何を選ぶかということが2によって、意識的に何を選ぶかということが3によって、評価される。4は1,2,3を最もわかりやすく具現化したものであるといえる。かなり抽象的な議論になったが、確かに1,2,3,4を完璧に理解することが「求職者」を知ることと同値であると考えて問題無いと言える。

「企業」は現在、下記のような方法で1,2,3,4を評価している

  1. 能力:SPI試験、テストセンター、面接
  2. 性格:適性検査、エントリーシート、面接
  3. 考え方:エントリーシート、面接
  4. 経歴:履歴書

個別の企業で違う手法をとっているところもあるかもしれないが、大概の企業は上記となるだろう。合理的、画一的な評価が「企業」に求められる中で、1,2,3の評価手法であり、かつ評価への重み付けが大きい「面接」という手法にマッチングを妨げる問題が潜んでいると危惧している。

3.今の「面接」の良くないところ

評価手法としての「面接」の何が悪いか。。

まずは合理的な人材評価手法に求められる要件はなにかを考える必要がある。

<評価手法に求められる要件>

(a)遂行してほしい「業務」が定義されていること

まず人材を評価する前提として、遂行してほしい業務が何であるかということが明確である必要がある。それが人材を採用する目的であり、それがなければ、そもそも採用する必要がない。

(b)「評価軸」が定義されていること

遂行してほしい「業務」と現在その人材が持っている「特性」をつなぐための媒介としての「評価軸」が必要である。「評価軸」が存在することによって、『あなたのそういった「特性」はこういう業務を遂行する上でのこういう能力につながるので、評価する』という合理的な流れが成立する。

例えば、顧客への営業活動という「業務」に対して、アルバイトでの接客という「経歴」はプラスに働くと考えられる。ただここで単純にプラス評価を与えることは合理的ではなく、他の「特性」とのバランスも考えることはできない。そこで営業活動という「業務」に対する「評価軸」として、「対客コミュニケーション能力」、「礼儀・作法」、「提案力」、「積極性」などを設定すると、アルバイトでの経験は前者2つのプラス評価であるが、後者にはプラスでもマイナスでもないという合理的な評価を下せる。

(c)「評価軸」の重み付けが定義されていること

各「評価軸」のバランスを考えて総合的に評価する際に、それぞれの「評価軸」がどれだけ評価に寄与するのかということを定義しておく必要がある。

開発という「業務」をメインで実施して欲しいので、開発に対する「評価軸」の重みを強くしたり、開発の中でも「技術に対する好奇心」がある人を歓迎したいので、その「評価軸」の重みを強くしたりといった具合ですべての「評価軸」を総合することができるようにしておく必要がある。

(d)評価の過程が明確であること

評価過程が確実に合理的であることは不可能であるため、合理性を追求するという姿勢が必要である。上記のように定義できる部分については予め定義し、定義できない部分、属人的、感覚的になってしまった部分については「評価する上でのインプットとなる情報はなんだったか」、「その情報を評価軸にどのように落としこんだか」、「最終的に各評価軸をどの程度と評価したか」というプロセスを各評価軸ごとに明確にしておくことで評価者同士での合意形成が図れるとともに、透明性を確保することができる。

(e)合理性を追求できる仕組みがあること

上記の要件によって合理的な下地を作る事はできたが、最初から完璧なものを作ることは不可能で、手法としての合理性を評価でき、それを改善していけるような仕組みが必要となる。PDCAサイクルにおけるCの機能にあたる。これは結果に対する指標を作ること、それを改善するという取り組みを作ることによって実現できる。

ただし、人材評価手法において、その手法自体の成果を評価することは難しい。目的に照らして成果を評価するとすれば、その手法で採用された人材のアウトプットを評価することが適当だと考えられるが、間接的すぎるし、他の外的要因を排除することはできない。

だが、例えば、合理性の指標として、複数の面接官の「求職者」に対する評価がどれだけぶれたかという指標は容易に作ることができる。ブレが大きければ、「評価軸」を設定し直すという改善や属人的な部分として議論の余地を残しておくという改善もできる。

以上が合理的な評価手法に求められる要件となる。

以上の5つの要件を今の「面接」という手法は実現できているかということを検証する

【(a)「業務」の定義に対して】~「面接」が要件を満たしているか~

(a)は募集職種や業務内容をある程度定めた前提で面接を実施しているため、要件は満たされている。

【(b)「評価軸」の定義に対して】~「面接」が要件を満たしているか~

現在、「企業」が「評価軸」として提示しているものは求める人物像という形が多いであろうか。ただこの求める人物像は「曖昧であること」、「面接官、評価者が意識して定義を持っていないこと」、「人物を評価するには少なすぎること」から企業全体として「評価軸」の具体的な共通見解を持っておらず、結局個々人の感覚によるところが大きくなっている。感覚的な「評価軸」として必要なものではあるが、それが意識されずに利用されていることに問題がある。

各企業が掲げている求める人物像はせいぜい5つ程度のものでそれに当てはまらない「評価軸」は評価者個々人が作っていくしかないということになる。

【(c)重み付けの定義に対して】~「面接」が要件を満たしているか~

まず「評価軸」がきちんと定義されていないため、その重み付けは当然定義されていない。そのため、現在の「面接」では、どの評価がどう寄与していくかは明確ではなく、印象が強かった「特性」が優先して評価されていく。

【(d)プロセスの明確化に対して】~「面接」が要件を満たしているか~

評価の過程は明確ではなく、最終的な結論を導いた根拠のみが残されていることが多い。

例えば、「誠実さや好奇心の高さは認められたものの、リーダーシップが感じられなかった」という根拠は誠実さ、好奇心の高さという「評価軸」をプラスに、「リーダーシップ」という「評価軸」をマイナスに評価したということが表されている。

これは上記の要件で述べた「最終的に各評価軸をどの程度と評価したか」のみが明確にされているが、「評価する上でのインプットとなる情報はなんだったか」、「その情報を評価軸にどのように落としこんだか」ということには全く言及できていないということが分かる。

また抽出した「特性」が何であるかということを残しておくということも実現できていない。テストセンターや履歴書、エントリーシートなどの手法によって抽出された「特性」は文書や数字として記録が残るものの、「面接」という手法は会話ベースであり、残っているとしてもメモ書き程度で、議事録が残っているわけではない。

【(e)合理性の追求に対して】~「面接」が要件を満たしているか~

企業が採用において、追求していることはいかにして人材を集めるかということでそこから選択する評価手法の合理性は追求されていない。あるとすれば、面接官の訓練など、手法を形成する要素の洗練のみであり、手法それ自体を改善するという取り組みは認められない。

 

以上のように現代の「企業」の「面接」は評価手法に求められる要件をほぼ満たせていない。要件と照らしあわせた形で「面接」を総合すると下記のようになる。

「弊社であなたに従事してほしい業務は〇〇です。」
←業務内容ははっきりと定義されていることが多い。
「求める人物像は積極性があって、問題意識を常にもって行動できる人物です。」
←「評価軸」としては2つ定義されている
「誠実さは認められたものの、技術に対する好奇心が感じられませんでした。」
←最終的には感覚によって現れた「評価軸」をもって評価している」

上記であげた5つの要件を完璧に満たせるような手法は現実的には不可能であり、かなり理想的なものとなっている。ただし、(e)の要件を満たすことは容易であり、必須である。理想的なイメージを掲げた上でそれに近づけていくためにどうするかということを追求していく姿勢が重要である。

4.なぜ現在の「面接」がスタンダードとなっているのか

本来であれば、合理的な評価手法としての要件をほとんど満たされていない「面接」という手法が用いられているか。

人材採用において、「面接」はそもそも種々の試験に合格した者に直接会って重大な問題がないか、どんな雰囲気の人物かといったことを確かめるという最終確認の位置づけであった。

現代社会が与えられた問題に対して、正解を導き出すことが求められるパズル型社会から、問題自体を作り、正解のないゴールを目指すLEGO型社会へ移り変わるのに伴って、「企業」は学力試験で優秀な成績を修める人材ではなく、有意義な仕事を作っていくマインドを持った人材を求めるようになった。

その変遷によって、従来の採用試験は最低限度の「能力」を測り、参考とするための評価手法として、「面接」は会社にふさわしい人材であるかを判断する第一義的な評価手法として置きかわった。

ここまでは自然な流れで非合理的な部分は存在しない。

しかし、第一義的な評価手法として置き換わったはずの「面接」が、従来の参考程度の「面接」と同様の手法で実施されてしまったという点で現在の不合理な状況が生じてしまっている。ただ、初期段階で不合理な状況であってもその後の改善活動によって、少しずつ問題を解消していくことはできる。

それが行われなかったのは下記の3つの原因によると考えられる。

原因1 人材採用におけるの評価手法を評価する指標や実際の成果が見えづらい

何かを改善していくためにはコストが必要である。コストを割くためには何らかの合理的な理由が必要である。合理的な理由を作るのは、成果や実績の数字であり、その数字に対して、どこが悪くて、どう改善すれば、数字がこうなるという議論ができる。そのため成果が見えづらく、数字として現れないものは、現状に問題があるという指摘の正当性が確保できず、改善活動には至らない。

簡単に言うと、目立って悪いところはないのだから、わざわざ労力をかけて現状のものを変える必要はないだろうということになっている。

例えば、人事部のアウトプットや成果とはなにかということを数字で示すことができるだろうか。営業や開発であれば、営業成績や売上が数字として現れるため、アクションを起こすことができるが、人事の成果は表現できていないため、アクションにつながらない。

このことは要件(e)で述べた合理性を追求する仕組みを作るという話につながる。

原因2 学生時代までの教育は実践的でなく、採用段階での「能力」では優劣をつけづらい

専門的なスキルを大学で磨いて、スペシャリストとして、会社に入社するというパターンは日本では少なく、多くがポテンシャル人材として、入社して会社でスキルを磨いていくパターンである。

そのため、「企業」は「求職者」の伸びしろを評価しなくてはならない

その会社の専門性と全く向き合ったことのない人材の伸びしろを評価するには、その人材が専門性とどう向き合っていくかを全く別の経験や考え方から想像しなければならないため、ある意味評価者側の勘どころによらざるをえない。これが現在の採用手法の体系化を妨げている。

ただこの問題も要件(b)で述べた「評価軸」の定義によって、解消する事ができる。「業務」に求められる「考え方」の部分を「評価軸」として定義しておけば、専門性の部分に関係なく評価することができる。

またこれは採用とは少し離れるが、大学教育をより実践的にすることによっても解消することができる。ただし会社で使える能力を大学で指導するためには、会社での「業務」が体系化されているという前提が必要である。

原因3 「企業」として、採用手法の定義をある程度ぼかしておくことで各方面からの批判を避けている

「業務」や「評価軸」を具体的に定義してしまうことはステークホルダーに対して、批判の隙を与える事になってしまい、常に気を使わなければならなくなる。そのため、ある程度抽象度を高めておいて、幅広い解釈ができるようにすることが最も無難であるという理論が成り立ってしまっている。

5.今後の展望

現状の手法の問題点を述べてきたが、実際のところ、「企業」がどういう採用手法で実施するかということは「企業」の自由である。ただ自由に選択した手法が「求職者」を苦しめているという事実、本来合理性を追求するはずの集団が合理性に欠いた手法を放置しているという事実は忘れてはならない。

「面接」が採用手法を支配しているという問題に限らず、「新卒一括採用」、「終身雇用」、「年功序列」など日本に文化的に根付いた仕事観として、人材評価に欠陥をもたらすものが多い。これらの全てが悪いというわけではなく、これらが暗黙の了解として、手付かずの状態で浸透してしまっているという状況が良くない。

このような人材評価における種々の問題を解決する一つの手段として、
「人材評価を学問として、体系化する」
ということを提案したい。

これまで述べてきたような手法を構築するためには、様々な研究や調査などが必要であり、各企業が独自でできるものではない。上であげた人材の4つの「特性」を定量的に評価し、比較できるような仕組みを作り、それを各企業が利用していくことが最も理想的であると考えられる。

採用を専門で実施する第三者機関を設立し、各企業がその機関に委託するという形態も考えられる。それぐらい専門的に考えていかなければならないのが採用である。

また話は少しずれてしまうが、この人材評価学は人工知能の研究にも役立つ。人工知能がより人間の脳に近づくためには個性を実装することが重要である。人材の「特性」を体系的に「評価軸」に落としこむことができれば、人材同士の比較がしやすくなり、差異を明確にすることができる。その差異を人工知能にも反映させることで個性を実装する事ができる。

込み入った話になってきたが、何よりもまずは現在の「面接」について、議論することが必要である。実行に移すかどうかは置いておいて、議論することが必要である。